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[3377] 愚行権、セルフネグレストについて
日時: 2021/03/11 10:56
名前: いつまで新人 ID:dQgiYgJs

題名の件について皆様はどうお考えかお聞きしたいです。

歩行訓練や生活機能訓練を受ければ、在宅生活やより『自律』した生活が送れる可能性も高いと思われる利用者さんがいます。現状では車いすでの生活や、介護を受けることに慣れ、このままの状態で良いといった意思を示しています。

私としては、誰にも迷惑をかけていないし、介護の手を借りて『自律』できるのであればこのままで良いとも思うのですが、専門職からはセルフネグレストという考え方もあり、提供しているサービスについてより自立に向けたものへ見直そうという声も上がっています。

確かにリハビリが進めば身体機能の向上が望めそうだし、状態がよくなりそうですが、愚行権として本人のQOLを尊重することも必要と感じています。

これから、介護の生命倫理はどこに向かうのか心配です。皆さんの愚行権についての考え方と、セルフネグレストとの線引きをお聞きし、自分の糧にしたいです。宜しくお願いします。
メンテ

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心の糧を豊かにすることは人生の彩りです ( No.3 )
日時: 2021/03/11 12:44
名前: わすれました ID:MM0QHwek

愚行権、ジョン・スチュアート・ミルですね。とても懐かしいです。
さて、愚行権について言及するのであれば、それはもう「哲学」の領域であり「答え」がでるものではないでしょう。
ただ、はっきり言えるのは、適切な判断能力があるか否かを専門職として判断しなければならないということです。まあ、どんな天才であっても完全な判断能力があるわけではないので、その有無の評価も正直言ってかなり曖昧なものにならざるをえないでしょうが、明らかに生活に支障をきたすような能力しかない場合には、セルフネグレクトと愚行権の紐づけは避けるべきだと思います。反対に判断能力がある方のリハビリ拒否や、愚行は他者に迷惑をかけない限り、私個人としては「答えが出ない」課題です。

余談になりますが、20年以上も昔ですが、七帝で哲学を学んできた方と「人間には野垂れ死にする権利はあるのか」について語り合ったことがあります。この経験で死に方のの評価というのは、当事者の評価ではなく周りや関係者がどう評価されるかを基準としていることを理解しました。

私たちは私たちの規範や道徳で「社会」を構築し、その中で生活しています。しかしながら世の東西、あるいは時代を問わず、その社会では居心地が悪く、その境界の周辺を漂泊している方々が必ずいます。その漂泊している方に、才能や能力があれば、芸術家や天才と呼ばれますが、大方は奇人や変人と呼ばれ社会になじめずにいます。

社会の中にいて、その外で漂泊する人たちを、社会のルールや感覚で評価することは簡単ですが、この世はそんな単純なものではありません。

家族や友人に囲まれ、温かい気持ちで老後を過ごし、皆に看取られ息を引き取る。野垂れ死にとは180度違う人生の終焉の姿。しかし、覚悟をもって、それに唾をしながら生きている人も(ごくごく少数ですが)存在します。

もし質問者様が「心の糧」を増やしたいのであれば以下の本をお勧めします。

〇都築響一著「独居老人スタイル」一人で生きて何が悪い!
tps://bookmeter.com/books/14725706

〇出口治明著「哲学と宗教全史」
ttps://bookmeter.com/books/14202613
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