我が国の介護や福祉はそこまで深く介入できるような法体系になっていない ( No.1 ) |
- 日時: 2021/03/11 12:09
- 名前: masa◆PQB2uTgXDQ ID:68CBKye.
- そもそも現行の介護サービスは、本人の同意がないところで、意志堅牢な人のその意志を無視して介入できることにはなっておらず、強制権のある行政介入にも高い壁があります。
援助者がクライエントに介入するには、あまりにも法制度が不備ですから、そこから手を付けねばならない状態で、せいぜいできることは、地域ケア会議でそのようなケースを取り挙げて、重大な問題が表面化した際に備えた支援体制を構築しておくことくらいではないでしょうか。
でもね >介護の生命倫理はどこに向かうのか心配です。皆さんの愚行権についての考え方と、セルフネグレストとの線引きをお聞きし、自分の糧にしたいです。
本当にこれが動機なら、ネット掲示板という限られた情報のやり取りの場では無理があると思います。しかるべき場所に論文を発表して、深い議論に結び付けないと、この限られた文字数で論ずる場所では、表面上の底の浅い知識にしかたどり着けませんよ。
|
ありがとうございました ( No.2 ) |
- 日時: 2021/03/11 12:34
- 名前: いつまでも新人 ID:uiLE8.Tw
- masa様ありがとうございます。
ケースを取りあげ、意思を尊重しながら、リスクに対しての準備をしておこうと思います。 でもね〜 応援と受け取って糧にします。
セルフネグレスト→セルフネグレクトでした。見ていただいてる方すみません。
|
心の糧を豊かにすることは人生の彩りです ( No.3 ) |
- 日時: 2021/03/11 12:44
- 名前: わすれました ID:MM0QHwek
- 愚行権、ジョン・スチュアート・ミルですね。とても懐かしいです。
さて、愚行権について言及するのであれば、それはもう「哲学」の領域であり「答え」がでるものではないでしょう。 ただ、はっきり言えるのは、適切な判断能力があるか否かを専門職として判断しなければならないということです。まあ、どんな天才であっても完全な判断能力があるわけではないので、その有無の評価も正直言ってかなり曖昧なものにならざるをえないでしょうが、明らかに生活に支障をきたすような能力しかない場合には、セルフネグレクトと愚行権の紐づけは避けるべきだと思います。反対に判断能力がある方のリハビリ拒否や、愚行は他者に迷惑をかけない限り、私個人としては「答えが出ない」課題です。
余談になりますが、20年以上も昔ですが、七帝で哲学を学んできた方と「人間には野垂れ死にする権利はあるのか」について語り合ったことがあります。この経験で死に方のの評価というのは、当事者の評価ではなく周りや関係者がどう評価されるかを基準としていることを理解しました。
私たちは私たちの規範や道徳で「社会」を構築し、その中で生活しています。しかしながら世の東西、あるいは時代を問わず、その社会では居心地が悪く、その境界の周辺を漂泊している方々が必ずいます。その漂泊している方に、才能や能力があれば、芸術家や天才と呼ばれますが、大方は奇人や変人と呼ばれ社会になじめずにいます。
社会の中にいて、その外で漂泊する人たちを、社会のルールや感覚で評価することは簡単ですが、この世はそんな単純なものではありません。
家族や友人に囲まれ、温かい気持ちで老後を過ごし、皆に看取られ息を引き取る。野垂れ死にとは180度違う人生の終焉の姿。しかし、覚悟をもって、それに唾をしながら生きている人も(ごくごく少数ですが)存在します。
もし質問者様が「心の糧」を増やしたいのであれば以下の本をお勧めします。
〇都築響一著「独居老人スタイル」一人で生きて何が悪い! tps://bookmeter.com/books/14725706
〇出口治明著「哲学と宗教全史」 ttps://bookmeter.com/books/14202613
|
ありがとうございました ( No.4 ) |
- 日時: 2021/03/11 13:12
- 名前: いつまでも新人 ID:uiLE8.Tw
- わすれました様ありがとうございます。
なるほど、哲学であるから答えは無い、というかその人、その時代、場所など様々な要因で、それぞれの『答え』のような結果があるのみといったところでしょうか。少し感じ取れた気がします。 セルフネグレクトとは切り離して考えてみたいと思います。
その人を想い、感じとりながら関わりを持っていきます。
|